カレーの歴史は明治から。
前回の「日本人とカレー~江戸後期~明治初期~」の記事で、
- 福沢諭吉は、curryという言葉に読み仮名を記した人
- 遣欧使節団一員岩松太郎(いわまつたろう)は、日本人で初めてカレーのようなものを見た中の一人
- 山川健次郎は、ライスカレーを注文し、ご飯だけ食べた人
とご紹介しました。
明治時代はカレーの黎明期であり、また日本国民にカレーが浸透していこうとする時代です。
どんな出来事があったのでしょうか?
今回は、1870年~1889年間に起こったカレーにまつわる出来事を解説します。
日本の西洋化
諸説ありますが、1870年(明治3年)の頃に、イギリスからカレー粉が日本に伝わったとされています。
カレー粉は19世紀初頭世紀にクロスアンドブラックウェル社(C&B社)が生み出しました。
スパイスを調合して作らずに簡単にカレーができる優れものです。
ちょうどそのころ、1871年(明治4年)明治政府は西洋化推進のため肉食を奨励します。
明治政府が国民に肉食を食べることを大々的に進めた背景があります。
その理由は、明治以前は、日本人は肉を食べていなかったのです。
その理由が、
- 675年に天武天皇が肉食禁止令して以来明治初期まで続いていた
- 仏教の影響で殺生を禁じていた
- 農業の労働力として使われていた牛や馬を食べるがタブーだった
ことが日本人が肉を食べていなかった理由とされています。
明治政府も地道に食肉を推進してきましたが、なかなか進みません。
そんな中1872年(明治5年)1月24日に明治天皇が自ら牛肉を召し上がったのです。
明治天皇が率先して牛肉を召し上がったことが国民に知れ渡ります。
肉食を解禁したことによって、日本に西洋の文化が広がっていくきっかけになりました。
二冊の料理本
1872年(明治5年)にカレーの料理について本が二冊発刊されました。
- 西洋料理通
- 西洋料理指南
日本で初めてカレーの調理方法が書かれた書物です。
西洋料理通
新聞記者・劇作家でもある 仮名垣 魯文(かながき ろぶん)が執筆。
横浜に住んでいたイギリス人が使用人に西洋料理を作らせるために書いたノートをベースに書かれました。
「カリードヴィル・オル・ファウル」という名前で紹介されています。
冷残の子牛の肉あるいは鳥の冷肉いずれも両種の中有合物にてよろし葱四本刻み、林檎四個皮を剝き去り刻みて食匙にカリーの粉一杯シトルトスプウン匙に小麦の粉一杯 水或いは第三等の白汁いずれにても其中へ投下煮る事四時間半 その後に柚子の露を投化て炊きたる米の皿を四辺にぐるりと円く輪になる様もるべし
出典:国会図書館所蔵
これを要約すると、
- 子牛の肉または鶏肉のありあわせの肉、葱(ねぎ)を4本刻む
- 林檎を4つ皮をむいて刻み、スプーンにカレー粉と小麦粉一杯づつ入れる
- 水(白汁)を入れて四時間半煮る
- 柚子の果汁を入れ仕上げ、米のまわりにぐるっと円を描くようにカレーを盛る
西洋料理指南(上下巻)
この本は、西洋料理のレシピ、食器や調理器具の紹介、テーブルコーディネートまたはテーブルセッティングについて書かれてあります。
実は著者の敬学堂主人(けいがくどうしゅじん)という人物ですが、素性は不明です。
高級官僚が匿名で書き記したものとされています。
「カレー」ノ製法ハ葱一茎生姜半箇蒜少許ヲ細末ニシ牛酪大一匙ヲ以テ煎リ水一合五タヲ加へ鶏、海老、鯛、蠣、赤蛙等ノモノヲ入テ能ク煮後二「カレー」ノ粉小一匙ヲ入煮ル1西洋一字間巳ニ熟シタルトキ塩二加ヘ又小麦粉大匙二ッ水ニテ解キテは入ルベシ
出典:『西洋料理指南 下』より
書かれてあるカレーの製法を簡単に解説します。
- ねぎ(葱)一つ、生姜・半分、ニンニク少しでみじん切りにする
- バター(牛酪)大さじ1入れて炒める
- 水270ml(一合五勺)いれる
- 鶏・海老・鯛・蠣(かき)赤蛙など入れてよく煮る
- カレー粉一匙小さじ一杯入れる
- 一時間煮る
- 塩を加え、小麦粉大さじ2、水で溶いて入れる
かっ、かえる?!入れてたの?
二つの料理本に共通してカレーに使われているのは、カレー粉・小麦粉・ねぎ(葱)。
カレーの定番具材じゃがいも・人参・玉ねぎじゃないんだね。
今のカレーの定番具材(じゃがいも・玉ねぎ・人参)になったのか?については、また別の記事で紹介しますね。
1873年~1889年の出来事
1873年から1889年にあったカレーに関する出来事を紹介します。
・1873年(明治六年)陸軍幼年学校で土曜日の昼食としてライスカレーが提供されました。
陸軍幼年学校とは、満13歳~満15歳未満の男子を選抜し、将来の陸軍幹部候補生を育成する全寮制の教育機関です。
超エリートだね。
ところで、ライスカレーって何?
カレーライスじゃないの?と思いますよね。
ここでライスカレーとカレーライスの違いについて説明します。
- ライスカレー…ご飯にカレーがかかっている状態
- カレーライス…ご飯とカレーが別々になっている状態のもの
※定義には諸説あり
現在は、ご飯にカレーがかかっている状態をカレーライスと呼んでますね。
・1876年(明治9年)札幌農学校の寮で一日おきのライスカレーが開始されます。
これは、アメリカ出身のウィリアム・スミス・クラーク博士の提言によるものです。
クラーク博士といえば、「少年よ大志を抱け(Boys,be ambitious!)」は有名な言葉ですよね。
クラーク博士は、当時の子供たちの体格が弱々しくみえたため、パンや乳製品など洋食を進めるために米を食べるのを禁止。
しかし、カレーだけは米飯が許されました。
・1877年(明治10年)米津凮月堂(現:東京風月堂銀座)にライスカレーが登場します。
米津松造さんがフランス料理を開業し、カレーライス・オムレツ・ビフテキ等提供。
当時は、もりそば一杯1銭で、ライスカレーが一皿8銭だったとか。
まだまだ庶民には高価ですね。
もう米津風月堂(料理店)はないけど、現在は、洋菓子店です。
江戸時代から令和まで長年続いているお店なんだよ。
- 1870年(明治3年)カレー粉がイギリスから伝来
- 1871年(明治4年)明治政府は西洋化推進のため肉食を奨励
- 1872年(明治5年) 明治天皇牛肉を食す
- 1872年(明治5年)西洋料理通と西洋料理指南を発刊
- 1873年(明治6年)陸軍幼年学校で土曜の昼食にライスカレーを提供
- 1876年(明治9年)札幌農学校の寮で一日おきにライスカレーが始まる
- 1877年(明治10年) 東京の風月堂にライスカレーが登場
やっとお店でライスカレーが提供されるようになったけど、まだまだ庶民にとっては高級品のカレー。
いつごろから庶民に食べられるようになるのでしょうか?
明治のカレーは、まだまだ続きます。
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