日本人とカレー~江戸後期・明治初期~

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カレーの歴史

みなさまは、カレーを食べる頻度はどれくらいでしょうか?

「一週間に2回は、家でカレー作るよ。」
「ほぼ毎日、昼はカレーを食べている。」

と食べる頻度は様々ですが、日本にとってカレーは国民食と言っていいほど定着しています。

くみん
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当ブログのナビゲーター、くみんです!

ここで一つ疑問です。

カレーは、もちろんインドの食べ物ですが、いつどうやってカレーが日本に伝わったのでしょうか?

また、初めてカレーを食べた方は誰なのでしょうか?

今回は、「日本におけるカレーの初めて」について解説します。

日本に初めてカレーを紹介した人って誰?

日本に初めてカレーを紹介した人は、誰なのでしょうか?

「カレー」という食べ物を本で紹介した人物は、福沢諭吉です。

「カレーという言葉」を日本に紹介した福沢諭吉の画像
出典元:国立国会図書館

福沢諭吉は、一万円札の顔です。(2023年現在)

また、諭吉の著書「学問のすゝめ」は有名ですよね。

福沢諭吉とカレー? どんなつながりがあるのでしょうか?

福沢諭吉は、1834年(天保5年)豊前中津藩(現在:大分県中津市)の下級武士の子供と
して生まれました。

くみん
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第11代将軍 徳川家斉(いえなり)時代やね。

福沢諭吉の肩書きは、

  • 蘭学者(“蘭”は、オランダ(阿蘭陀)のこと)
  • 啓蒙思想家
  • 教育者(慶應義塾の創設)
  • 洋書の翻訳者

など教育に力を入れて活動した人物です。

どうやって福沢諭吉は、カレーを紹介したんでしょうか?

福沢諭吉がカレーを紹介した本があります。

正確に言うと「カレ」ーという言葉を日本に紹介しました。

福沢諭吉が編集した「増訂 華英通語(ぞうてい かえいつうご)」という辞書です。

1860年(万延元年)咸臨丸(かんりんまる)に乗って、アメリカに渡った時に「華英通語」を購入して帰国。

当時、福沢諭吉は25歳でした。

「増訂 華英通語」は、英語と中国語(華=中国)の対話語訳で、英語と中国語の発音に
日本語の読み仮名をカタカナで書き加えました。

この辞書に、「Curry」をコルリと日本語の読み仮名を付けて紹介しています。

この辞書は、福沢諭吉が最初に出版した書物で、アメリカから帰国した後に書かれました。

カレーを初めて見た日本人がいた?

江戸末期、まだ日本人でだれも実際にカレーを見たことがありません。

そんな中、カレーらしきものを実際に見た人がいました。

横浜鎖港談判使節団の一員だった岩松太郎
(いわまつたろう)という方です。

カレーらしきものを見た岩松太郎の画像
出典:国立国会図書館デジタルコレクション

1863年(文久3年)横浜鎖港談判使節団に参加したときのことです。

岩松太郎は副使である河津祐邦(かわづ すけくに)の家来で、当時23歳でした。

横浜鎖港談判使節団の目的は、横浜港を再度閉鎖する交渉のためでした。

英国との外交問題で、ナポレオン三世に嘆願するためにフランスの船に乗り換えた時に、岩松太郎たち使節団一行は、カレーらしきものに出会うことになります。

くみん
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この時点で「これがカレーです!」と断言できへんからなぁ~

岩松太郎が同じ船乗り合わせたアラビア人(亞刺日亞人)の食事風景に遭遇。

そのときの感想を日誌に書き記しています。 

「飯の上へトウガラシ細味に致し芋のどろどろのような物を掛け此を手にてまぜ手にて食す至てきたなき人物の者なり」

引用元:航海日記(岩松太郎 書)
くみん
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きたなき人物の者か…。

日本人は、手で食べ物を混ぜながら食べることをしないからなぁ。

想像ですが、岩松たちを含む使節団の一行は、びっくり仰天したでしょう。

※岩松太郎以外にも日本人で初めてカレーというものを目撃した人とされている三宅秀(みやけ ひいず)さんも使節団の一行のひとりでした。

日本人で初めてカレーを食べた人物とは?

日本にカレーという言葉を日本に紹介した人は、福沢諭吉

インド人がカレーらしきもの食べる様子をを見ていた岩松太郎ら遣欧使節団一行

では、誰が最初にカレーを食べたんでしょうか?

日本人で初めてカレーを食べたとされる山川健次郎の画像
出典:九州大学 百周年記念事業HP

日本人で初めてカレーを食べたとされているのが、山川健次郎(やまかわけんじろう)です。

山川健次郎は、安政元年(1854年)会津藩藩士の三男として出生しました。

くみん
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第13代徳川家定(いえさだ)の頃やね。

また、山川健次郎は会津藩白虎隊に一時期所属し、戊辰戦争も経験しています。

山川健次郎の肩書きは、下記の通りです。

  • 日本初の物理学者
  • 東京帝国大学、他帝国大学の総長を歴任
  • 貴族院議員(大日本帝国憲法下の上院)
  • 枢密院顧問官(枢密院:天皇の諮問機関)→天皇に意見を訪ね求めるところ

明治4年(1871年)国費留学生として汽船「ジャパン号」に乗り込み、アメリカへ。

山川健次郎は、当時16歳でした。

山川老先生六十年前外遊の思出』という著書にカレーのことが書かれています。

何しろ西洋の食物なんて云うものは食べた事がない。

あの變な臭ひがするのがまづ第一に困つて、船に乗つても食はないで居ると、船の醫者が飯を食べにやいかんと勧めて呉れたが、しかしどうしても食ふ氣ない。

それで私は始めにライスカレーを食つて見る氣になって、あの上につけるゴテゴテした物は食う氣になれない。

それでその時杏子の砂糖漬があつたから、之を副食物にして米飯を食し、飢を凌ぎましたこともありました。

出典元:国立国会図書館デジタルコレクション 山川老先生六十年前外遊の思出より抜粋

要約しますと、

  • (山川健次郎本人は)西洋の食べ物を食べたことがない
  • 西洋料理の変なにおいに一番困っていた
  • 何も食べずにいたら、船医に何か食べないといけない言われたけど、食べる気がしない
  • ライスカレーを食べてみようとしたが、ゴテゴテしたもの(カレー)は食べたくない
  • 杏の砂糖漬けをおかずにして米を食べた

結局、カレーには手を付けず、ご飯だけを食べたんですね。

ゴテゴテしたものは、欧風カレーでしょうか。

  1. 福沢諭吉は、日本人で初めて「カレー(Curry)」という言葉を辞書に読み仮名を記した人
  2. 岩松太郎は、日本人で初めてカレーのようなものを見た中の一人
  3. 山川健次郎は、ライスカレーを注文し、ごはんだけ食べた人

江戸後期から明治時代初期には、カレーを目の前にしてたのに、まだ誰もカレーを食べていなかったんですね。

これからカレーは、どうやって日本に定着していくことになるのでしょうか?

気になりますね。

※福沢諭吉(参考:福沢諭吉旧居・福沢記念館HPなど)山川健次郎(参考:国際留学協会HPなど)

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