「日本人とカレー 明治時代①1870~1889年」の続きの話になります。
1870年~1889年のカレーは、まだまだ庶民にとっては高嶺の花。
庶民にカレーは食べられるようになったんでしょうか?
今回は、1890年~1912年に起こったカレーにまつわる話です。
カレーが雑誌と本で紹介される
1893年(明治26年)「婦女雑誌」に即席ライスカレーのレシピが紹介される
婦女雑誌で紹介された即席ライスカレーのレシピはこちらです。
煎茶茶碗に一杯のバターと葱三、四本を細かに切りたるを深き鍋に入れ、強き火に懸け、葱の柔らになりたる時、煎茶茶碗に八分目程の粉を入れ、絶えず攪き廻しながら鳶色になるまで煎りつけて、煎茶茶碗に半杯のカレイ粉(西洋食糧店にあり)を入れ、かくて鰹節の煮汁(これは鰹節半本にご飯茶碗六杯の水にて前に拵へ置くべし)を少しづつ注ぎ入れながら攪き回し、醤油を適宜に加へ十分間程弱き火に懸け、味噌漉しにて漉し、其汁へ湯煮したる車鰕或は鳥肉を入れ、炊きたての御飯にかけて食すべし
出典元:ハウス食品
簡単に言うと
- 茶碗(約100ccぐらい)に一杯のバターとネギ3~4本を細かく切って深鍋に入れる
- 深鍋を強火にかけてネギが柔らかくなったら、茶碗の八分目小麦粉を入れる
- ずっとかき回して鳶色(とびいろ:赤暗い茶褐色)になるまで煎る
- 茶碗の半分にカレー粉を入れて、鰹節の煮汁(出汁)を少しずつ入れながら混ぜる
- 醤油を適当に加え、10分間ほど弱火にかけて味噌こしを使ってこす
- その汁へゆでた車エビや鶏肉を入れて、炊き立てのご飯にかけて食べる
かつおだしや醤油をカレーにいれたレシピだったんですね。
1898年(明治31年)「日本料理法大全」にライスカレーを日本料理として紹介されます。
著者は石井治兵衛(いしいじへえ)という人物で、平安時代から始まったとされる四条流庖丁道の宗家という家柄。
江戸幕府では諸藩料理師範であり、明治時代は宮内省 大膳職庖丁師範として活躍します。
石井さんは料理のプロフェッショナルやね。
この本には料理法・切り方・献立集など、1500ページにも及ぶ料理本の集大成です。
日本料理の起源と歴史、伝統的な食べ物やその食べ物に込められてた日本人の精神も説いています。
国産カレー粉誕生
当時は、日本で使っていたカレー粉は、イギリスのC&B社のカレー粉を輸入していました。
日本で作られたカレー粉はありません。
1905年(明治38年)大阪の大和屋が日本初カレー粉製造と販売します。
大阪の大和屋二代目の今村弥兵衛は、薬種問屋(薬販売業)を営んでいました。
ある日漢方薬を保管している蔵で、カレーのようないい匂いが漂っていたんだとか。
カレーの匂いがした箱からウコンやトウガラシなどの香辛料が入ってたこと気づきます。
この発見で弥兵衛さんは、カレー粉製造に邁進し「蜂カレー」という名で日本初の国産カレー粉を完成させました。
「蜂カレー」には、はちみつが入っているのかな?
はちみつは入っていないよ。
「蜂カレー」というネーミングの由来はね、カレー粉づくりを勤しんでいた弥兵衛さんが、ふと窓を見ると一匹の蜂が止まっていたんだって。
その蜂が朝日を浴びて、黄金のような輝き見えたんだ。
黄金のように輝いていた蜂にとても感動した弥兵衛さんは「蜂カレー」と名付けたんだって。
今は大和屋から「ハチ食品」という名前で営業されています。
令和でも蜂カレーは販売されているんですよ。
1906年(明治39年)カレーライスのタネが発売されます。
東京・外神田の一貫堂が「ライスカレー種」という名で新聞の広告にでます。
特徴を抜粋します。(広告画像から)
- カレー粉と極上生肉などを調合乾燥し固形体
- 缶詰に入っている(広告の挿絵より)
- 熱湯をかけてドロドロ溶かして温かいご飯にかける
- 旅行携帯用に非常に便利
- 来客の場合 即席珍味として差し出すと便利
- 蒸しパンやバターの代わりにつけて食べてもいい
(ネット上で一貫堂の広告ありますが引用元不明のため掲載しませんでした。)
この広告には大きく「軽便」って書かれているよ。
意味を調べたら、手軽に使えて便利なことだって。
この頃にすでにレトルトカレーに近いものができていたんですね。
1907年~1912年の出来事
1907年~1912年の出来事を簡単にまとめました。
1904年(明治37年)東京・早稲田「三朝庵」でカレーうどんが誕生します。
早稲田の学生に人気がだったそうで、かつ丼も三朝庵さんが発祥地だとか。
1907年(明治40年)青森駅の旅客待合所にライスカレーが登場。
1891年(明治24年)9月に東北本線上野⇔青森が開通し、青森駅が開業しています。
また、青森駅は首都圏と北海道への玄関口として重要な場所でした。
1908年(明治41年)大阪・谷屋でカレー南蛮が誕生。(屋号:東京そば)
2代目角田酉之助さんが、洋食ブームにのってカレーをそばに取り入れてみたことがきっかけです。
1908年(明治41年)海軍「海軍割烹術参考書」にカレイライスのレシピが掲載される。
海軍が調理を担当する隊員を育成するために作った指南書です。
原本が京都舞鶴市海上自衛隊 第4術科学校が所蔵しています。
海軍割烹術参考書は、「海軍カレー」の最古のレシピ本なんです。
カレーに牛肉(鶏肉)、人参、玉ねぎ、じゃがいもが使われていると書いてあるよ。
1910年(明治43年)陸軍「軍隊料理法」カレー、ライス(カレー汁掛飯)が載る。
日清戦争や日露戦争で兵士たちが脚気に苦しんだこともあり、兵士の栄養価調理も簡単にできるようにレシピも開発した本。
レシピの他に料理の心得、配膳の仕方などが書いてあります。
陸軍のカレーには少しお酢を入れてたみたいだよ
明治時代のカレーはどんな味だったんでしょうか?
今のカレーとは違った美味しさがあったんでしょうね。
- 1893年 (明治26年)「婦女雑誌」に即席ライスカレーのレシピが紹介される
- 1898年(明治31年)石井治兵衛(いしいじへい)著「日本料理法大全」にライスカレーのレシピとライスカレーを日本料理として紹介
- 1904年東京・早稲田「三朝庵」でカレーうどんが誕生
- 1905年(明治38年)大阪の大和屋が国産のカレー粉製造と販売
- 1906年(明治39年)カレーライスのタネが発売される
- 1907年(明治40年)青森駅の旅客待合所にライスカレーが登場
- 1908年(明治41年)大阪でカレー南蛮が誕生
- 1908年(明治41年)海軍「海軍割烹術参考書」カレイライスのレシピが載る
- 1910年(明治43年)陸軍「軍隊料理法」カレー、ライス(カレー汁掛飯)が載る
国産のカレー粉が製造されるようになって、庶民にもカレーが浸透していくことになります。
カレーうどんやカレー南蛮も明治時代に誕生しました。
次は、大正時代に突入します。
コメント