「日本の国民食」とも言えるカレーライス。
そのルーツがインドにあることはご存知の方も多いでしょう。
しかし、私たちが慣れ親しんでいるあのとろみのあるカレーが、インドから直接伝わったわけではないことを知っていましたか?
実は、日本のカレーは遥か遠いイギリスを経由してやってきたのです。
イギリスとカレー?意外な組み合わせに驚かれたかもしれません。
しかし、大航海時代から現代に至るまで、イギリスはインドとの深い関わりの中で、独自のカレー文化を育んできました。
そして、その英国風カレーこそが、日本のカレーのルーツなのです。
このブログでは、知られざる英国カレーの歴史と、それが日本のカレーに与えた影響について解説します。
イギリスとカレーの繋がりは?
イギリスは、いつからカレーと繋がったのでしょうか?
イギリスとインドの歴史を交えながら解説します。

ヨーロッパでは、15~16世紀にかけて大航海時代が始まります。
大航海時代が始まった理由には、コショウなどの香辛料が関係しています。
ヨーロッパでは、香辛料を育てる気候と環境ではありません。
この頃は東方貿易を通じてアジアから香辛料を手に入れていました。
しかしオスマン帝国が東方貿易を妨害し、香辛料が手に入らなくなり、値上がり続けています。
東方貿易を頼らずに、直接アジアに行って香辛料を手に入れようとします。
16・17世紀
1600年に、イギリス王室の許可を得た貿易会社「イギリス東インド会社」を設立します。
東インド会社とは、アジア地域と貿易をする目的で作った会社です。
イギリス東インド会社設立後には、
- 1602年 オランダ東インド会社
- 1604年 フランス東インド会社
が設立され、主にインドやジャワ島を拠点としていました。
特に香辛料は、東インド会社にとって大きな利益を生み出します。
18世紀
1747年 イギリスの料理本にインド式カレーレシピを掲載
イギリスの料理作家であるハンナ・グラス著「The Art of Cookery Made Plain and Easy」が発刊されます。
初めてインド式カレーのレシピが載りました。
レシピの題名は「To make a Currey the India way」。

カレーの英語表記が現在と違うんやね。
この本はベストセラーになり、現在でもレシピ本は復刻版として発売されています。
1757年 プラッシーの戦い
18世紀半ばになるとイギリスとフランスの東インド会社が対立し始めます。
1757年 プラッシーの戦いでイギリス東インド会社が勝利。
敗れたフランスはインドでの勢力がなくなり、イギリスがさらに勢力を拡大します。
1765年にインドの東部にあるベンガルなどの徴税権を得ます。

イギリスの最初の植民地は、ベンガル地方なんやで。
ベンガル地域は、ガンジス川流域で土地が肥沃のため、よく作物が取れる場所でした。
東インド会社の経営は好調でしたが、その反面インド人は税金を徴収され、圧迫されていきます。
1772年 インドのスパイスがイギリス本国に上陸
イギリス東インド会社に勤める英国人のウォーレン・ヘースティングズが、インド料理に使われるスパイス混合粉と米をイギリス本国へ持ち帰ってきます。
ヘースティングズは、のちに初代ベンガル総督となります。
ベンガル地方の主食である米を使ったライスカレーは、イギリス王室で大好評。
上流階級、資本家階級などの裕福な人々にも広まっていきました。
19世紀
19世紀初頭には、イギリスのC&B社がカレーパウダーを生産します。
1810年 辞書に「カレーパウダー」が登場
イギリスで歴史のあるオックスフォード英語辞書にカレーパウダーの語が載ります。
1833年 イギリス東インド会社の活動が停止
ベンガルの徴税権を得て順調にインドの支配を強めていこうとする矢先のことです。
イギリス本国によってイギリス東インド会社の商業活動が停止させられます。
なぜなら東インド会社が貿易を独占しすぎたため、イギリス国内で反発が強くなったためです。
貿易ができなくなったイギリス東インド会社は、インドを統治にシフトチェンジします。
会社を存続するには資金が必要で、インド国民から税金と集めて運営資金にしようと画策します。
まず初めにイギリス東インド会社は、インドの支配を強化するために戦争を起こします。
- 1767年マイソール戦争(VS マイソール王国)
- 1775年マラーター戦争(VS マラーター同盟)
- 1799年シク戦争(VS シク王国)
3つの戦争の勝利し、19世紀半ばにはインドの大部分を制圧します。
イギリス東インド会社は、インドの国民から税を徴収します。
- ザミンダーリー制(地主や領主から直接徴収)→地主は農民から税を徴収する
- ライヤットワーリー制(農民から直接徴収)

イギリス東インド会社の財政が潤る反面、インド国民は税に苦しめられて土地を捨てて逃げる人が多かったんやて。
のちにプランテーション経営も行われるようになります。
インドで農作物を栽培させて、イギリス本国にいる経営者が輸出することにより、利益を得る経営方法です。
1857年 シパーヒーの反乱とイギリス東インド会社解散
イギリス東インド会社の植民地経営が順調に進んでいると思いきや、1857年にシパーヒーの反乱がおこります。
シパーヒーは、イギリス東インド会社が所有していたインド人の傭兵のことです。
ジパーヒーはデリー城を占拠し、ムガル皇帝の支持を得ます。
また全インドに対して反英運動を呼びかけました。

打倒!イギリス東インド会社やね
農民・地主・商人たちも参加し、拡大して全インドを巻き込むインド大反乱に発展します。
インド大反乱は1857年~1859年まで続き、イギリス本国の軍隊によって鎮圧されました。
またムガル皇帝は廃位され、300年続いたムガル帝国は滅亡します。
1858年にインド大反乱の責任から、イギリス東インド会社が解散させられます。
1861年 ビートン夫人の家政読本でカレーを紹介
ビートン夫人の家政読本は、イザベラ・メアリー・ビートンによって書かれた手引書です。
カラーの図解付きの本で、世界初のレシピ本と言われています。
- カレー粉の作り方
- カレー粉に小麦を加えてとろみをつける調理法
などが載っていました。
1877年 インド帝国建立
イギリス東インド会社が解散後、イギリスにすべての権利を接収されました。
イギリス本国がインドを分割統治するイギリス領インド帝国が誕生します。
インド帝国の初代皇帝にヴィクトリア女王が即位しました。
イギリスでカレー粉が発明される
当時はカレーを作る際に、たくさんの香辛料を調合し、毎日使う分だけすり鉢ですりつぶしたりします。
毎回とても面倒な作業をしなければなりません。
そんなとき画期的な発明がされます。

クロス&ブラックウェル(C&B社)がスパイスをパウダーし、商品化に成功します。
創業者は、
- Edmond Cross エドモンドクロス(C)氏
- Thomas Blackwell トーマス・ブラックウェル(B)氏
の二人の頭文字をとった合同会社です。
当初C&B社は、食品販売やケータリング業をしていました。

ケータリングは、仕出しことやね。
ケイタリングで出ていた料理の中でも、カレー料理が人気でした。
面倒だったカレーを簡単に使えるように作ったのが、カレー粉なのです。
発売年月日の詳細は不明ですが、19世紀初頭には広く流通していたとされています。
C&Bのカレー粉は、徐々にイギリスの食生活に定着していきました。
またヴィクトリア女王にもカレー粉は献上され、上流階級にも浸透していきます。

ヴィクトリア女王は、2022年に崩御されたエリザベス女王の高祖母にあたるんや。
イギリスにカレーが広まった一番の理由は、カレー粉が発明されたことです。
その後C&Bのカレー粉は外国にも輸出されるようになります。
カレーが日本へ
1870年(明治3年)頃にC&B社のカレー粉が日本にやってきます。
カレー粉と小麦粉を使ったとろみのあるイギリス式のカレーも日本に広まっていきます。
また文明開化で牛肉解禁もあり、牛肉の食べ方としてカレーを紹介したことも定着化の後押しとなりました。

カレーの普及は意外にも早くて、1872年(明治5年)には、
- 西洋料理指南(敬学堂主人)
- 西洋料理通(仮名垣魯文)
カレーのレシピが載った本が発刊されていたほどです。
また日本の家カレーの定番野菜である
- じゃがいも
- 玉ねぎ
- ニンジン
は、明治末期から大正時代かけて定着したといわれています。
イギリスで生まれたカレー「チキン ティッカ マサラ」
イギリスを代表するカレー料理にチキン ティッカ マサラがあります。

チキン ティッカ マサラの起源には諸説ありますが、一つを紹介します。
1970年代にイギリスのインド料理店のアフメド・アスラム・アリ氏が考案者です。
ある日お客さんが「焼いたチキンがパサパサしている」と苦情をいいます。
店主がそのチキンにスパイスやトマトソースをかけて出しました。
それがあまりにも美味しくて、人気となったとされています。
ところで、チキン ティッカ マサラとバターチキンカレーと見た目が似ていませんか?
バターチキンカレーとほぼ見た目は一緒で、トマトソースを使用しています。
チキン ティッカ マサラの特徴は、
- チキンは焼いている(タンドリーチキン)
- 玉ねぎが入る
マイルドな辛味とトマトの酸味がバランスよくてイギリスで人気です。
またチキン ティッカ マサラはイギリスの国民食ともいわれています。
- イギリスとカレーの繋がりは、インド東インド会社設立以降
- 1819年クロス&ブラックウェルがカレー粉を発売
- 明治時代にイギリス経由でカレーが伝わる
- イギリスで生まれたカレー「チキン ティッカ マサラ」
インドで生まれたカレーは、イギリスによる植民地統治の歴史の中で、イギリスへと伝わりました。
そして、イギリス人の味覚に合わせて独自に進化を遂げた「英国風カレー」が、明治時代の日本へと伝来したのです。
イギリス式のカレー粉と小麦粉でとろみをつけたカレーは、日本人の味覚にも合い、瞬く間に国民食として定着しました。
しかし、日本のカレーはそこで歩みを止めることはありませんでした。
カレールーの登場、様々な具材やスパイスの組み合わせ、そして多様なジャンルとの融合など、現在もなお、日本独自の進化を続けています。
インド、イギリス、そして日本。三つの国の歴史と文化が織りなす奥深いカレーの世界。
その魅力を、これからも探求し続けていきたいと思います。
参考:S&B HP、ハウス食品HP、 NIKKEI STYLEアーカイブ
Try iT HP(インドの歴史)、AFP・BBNews(チキン ティッカ マサラ)
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