終戦直後の食糧難の時代、カレーは人々の食卓から姿を消していました。
その後、さまざまな工夫と努力によって再び私たちの食卓に戻ってきます。
インスタントカレーや固形ルーの登場、そしてテレビCMによる宣伝合戦など、昭和後期はカレーにまつわる大きな出来事が数多くありました。
この記事では、戦後の食糧難を乗り越え、カレーが国民食として定着していくったのか過程をひも解きます。
また昭和後期のカレー事情についても解説していきます。
戦後のカレー:苦難を乗り越え、国民食への道を歩み始める
戦前は、国産カレー粉の製造も盛んで、家庭でも親しまれていたカレー。
しかし、太平洋戦争中は食料統制によりカレーの製造・販売は中止され、国民の食卓からカレーが消えました。
製造されていたのは、軍用のカレー粉のみでした。
1945年(昭和20年)8月15日の終戦後、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に置かれ、1952年(昭和27年)までその状態が続きました。
戦時中の空襲で拠点を失った企業も多く、カレー製造会社も終戦まで製造・販売を再開できませんでした。
しかし、1952年に日本が主権を取り戻すと、スパイスの輸入が再開され、カレーの原料が安定して手に入るようになりました。
ここから、一般の人々に向けたカレーの普及が本格的に始まります。
戦後のカレー普及をリードした2つの商品
- 1945年:オリエンタル 即席カレー(粉末)発売
星野益一郎氏が名古屋市で創業し、炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のインスタントカレーを発売。
これは、家庭で手軽にカレーを楽しめる画期的な商品でした。 - 1950年:ベル食品 ベルカレールー発売
国内初の固形カレールーが発売されました。
これにより、カレー作りがさらに簡単になり、一般家庭への普及が加速しました。
この頃から、各カレーメーカーが次々とカレー製品を発売し、カレーは日本の食卓に欠かせない存在へと成長していったのです。
熾烈(しれつ)なカレー宣伝競争:昭和30年代、カレーはテレビCMで国民食へ
1951年(昭和26年)、民間放送のラジオ開設とともにラジオCMが登場し、カレーメーカーの市場競争は激化の一途をたどりました。
各社は、温泉招待や金券サービスなど、さまざまな特典を付けて販売合戦を繰り広げます。
しかし、過度な特売は問題視され、1952年(昭和27年)には公正取引委員会がカレー特売禁止措置を講じる事態となりました。
その後、カレーメーカー各社は、宣伝カーや移動クッキングなどの地道な宣伝活動に力を入れました。
そして、1953年のテレビ本格放送開始を機に、宣伝の中心はラジオからテレビへと移行します。
昭和30年代に入ると、テレビの普及とともにカレー業界のCM合戦はさらに激化し、国民の食卓にカレーが浸透していくのです。
昭和30年代、記憶に残るカレーCMの数々
◆オリエンタル:「オリエンタル即席カレーのうた」
耳に残るメロディーと歌詞で、オリエンタルカレーの知名度を飛躍的に向上させました。
◆エスビー食品:「特製エスビーカレー」
「インド人もびっくり!」のキャッチコピーと、芦屋雁之助さんがインド人に変身したコミカルなCMは、強烈なインパクトを残しました。

芦屋雁之助はんが、インド人に扮して出てたCMやろ?あれ、カレーの本場インド人もびっくりするくらい、めっちゃ美味しいカレーやってことを伝えたかったんやて。
カレーの味の二極化
この頃、カレーの味は、
- 子供向けの甘口を中心としたファミリー向け
- 大人向けの本格的なスパイシータイプ
の二極化が進みました。
これにより、様々な世代のニーズに応え、カレーは国民食としての地位を確立していきます。
1960年代の代表的なカレー商品
- ハウス食品「印度カレー」
- 江崎グリコ「グリコワンタッチカレー」
- 明治製菓「明治キンケイカレー」
- ハウス食品「バーモントカレー」
お湯で温めるだけ!世界初レトルトカレーの誕生:ボンカレーの衝撃
1968年(昭和43年)、世界初のレトルトカレー「ボンカレー」が誕生し、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えました。
「レトルト」とは、オランダ語で「加圧加熱殺菌をする釜」を意味します。
開発のきっかけは、1960年代当時、大塚製薬徳島工場長であった大塚明彦氏が、アメリカのパッケージ専門誌に掲載されていた『画期的なパッケージの記事』に注目したことでした。
この記事に掲載されていた新しい技術をカレーに応用できると考えた大塚氏は、
「一人前入りで、お湯で温めるだけで食べられる、誰でも失敗しないカレー」
というコンセプトで開発をスタートさせました。

ボンカレー開発の裏側
- 当時のパッケージは、ポリエチレンとポリエステルの2層構造の半透明パウチでした。
- 賞味期限は、夏場で2カ月、冬場で3カ月と、現在のレトルトカレーと比べると短かった。
- 現在では、ボンカレーゴールドは製造後1年4カ月まで保存が可能となり、湯煎だけでなく電子レンジ調理にも対応しています。
ボンカレーがもたらした食文化への影響
ボンカレーの登場は、日本の食文化に大きな変革をもたらしました。
それまでのカレーは、家庭で時間をかけて作るのが一般的でしたが、ボンカレーは手軽に本格的なカレーを味わえるようにしたのです。
1月22日はカレーの日:国民食カレー、学校給食にも広がる
学校給食にカレーが初めて登場したのは、1948年(昭和23年)のことです。
そして、1976年(昭和51年)には、給食にご飯が登場し始めました。
それ以前は、パンが給食の主食で、揚げパン、コッペパン、食パンなどが日替わりで提供されていました。
当時の給食のカレー:パンと一緒だった?
この頃、カレーはパンと一緒に食べられていたのでしょうか?
それとも、スープのようなカレーだったのでしょうか?
当時の給食のカレー事情は、現代とは少し違っていたかもしれません。
1982年(昭和57年)、社団法人全国学校栄養士協議会は、学校給食創立35周年を記念して、全国の小中学校で一斉にカレー給食を提供するよう呼びかけました。
この呼びかけにより、1982年1月22日に全国の小中学生約800万人が給食でカレーを食べたとされています。
この出来事を記念して、2016年(平成28年)に全国カレー工業協同組合が1月22日を「カレーの日」と制定しました。
カレーの多様化が始まる:昭和後期、個性豊かなカレーが続々登場
この頃には、すでに甘口のカレーが販売されていました。
そんな中1983年(昭和58年)にエスビー食品から日本初の幼児向けカレー「カレーの王子様」が誕生します。

https://www.sbfoods.co.jp/oji/
カレーの王子様
- 現在では、離乳食後の1歳から食べられるようリニューアルされています。
- 優しい甘さが特徴で、辛みが苦手な子供や、初めて辛みを体験させたい時に最適です。
- アレルギーに配慮した商品など、幅広いラインアップで子育て世代に支持されています。
1986年(昭和61年)には、激辛ブームとエスニックブームが到来しました。
激辛ブームとエスニックブーム
- 「○倍カレー」で知られる「カレーハウス ボルツ」が、辛さを自由に選べる画期的なサービスで人気を集めました。
- 当時は珍しかったインドカレーのチェーン店も登場し、エスニックなカレーが注目を集めました。
- レトルトカレー市場でも、江崎グリコの「LEE」のように「辛さ×○○倍」と表記された激辛商品が登場し、ロングセラーとなりました。
その後も、カレーの嗜好(しこう)は多様化の一途をたどり、高級感や個性的なカレーなど、他社との差別化を図る商品が次々と発売されました。
【まとめ】カレー、国民食への道を駆け抜けた昭和
戦時中は国民がカレーを口にできない苦しい時代でしたが、戦後、カレー業界は力強く復活を遂げます。
カレー粉からカレールーへの移行、そして手軽なレトルトカレーの登場は、家庭でのカレー食を大きく広げました。
昭和は、カレーが国民食としての地位を確立する上で、数々のドラマが生まれた時代でした。
激しい競争の中で生まれた数々のカレー商品やCMは今でも記憶に残っています。
次回は、さらに多様化が進む平成のカレー事情について解説します。
- 1945年(昭和20年)オリエンタル 即席カレー発売(粉末)
- 1950年(昭和25年)ベル食品 ベルカレールーが国内初の固形カレールウが発売
- 1952年(昭和27年)公正取引員会がカレー特売禁止措置
- 1968年(昭和43年)世界初のレトルトカレー「ボンカレー」誕生
- 1982年(昭和57年)全国の小中学校でカレーライスを学校給食で一斉提供
- 1983年(昭和58年)エスビー食品 日本初の幼児用のカレー「カレーの王子様」が誕生
- 1986年(昭和61年)空前の激辛ブームとエスニックブーム
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