今や国民食となったカレー。
戦後の高度経済成長とともに、日本人の食生活が豊かになる中、スパイス香る本格インドカレーが徐々に浸透してきました。
その後日本人の食生活に定着し、今ではカレーライスとは異なるジャンルとして好まれています。
いつごろから本格インドカレーは日本で食べられるようになったのでしょうか?
今回は日本における本格インドカレーの誕生の背景とその後の歴史を探っていきます。
はじめに
本格インドカレーが日本に浸透する前に、日本のカレー事情はどうだったのでしょうか?
まずは、カレーが日本に伝来した経緯をご紹介します。
カレーが日本に伝わった経緯
日本にカレーがやってきたのが明治時代初期で、イギリスから伝わりました。
なぜカレーがイギリス?!と思われますが、その当時イギリスがインドを植民地支配していたからです。
イギリスから伝わったカレーは、小麦粉ベースのカレー粉を使ったカレーが主流でした。
欧風カレーやな
その後カレーは、日本で独自の変化を遂げていきます。
本格インドカレー誕生の背景
明治の文明開化から欧米の文化が日本に流入していきます。
本格インドカレーがいつどのようにして日本に定着するようになったのでしょうか。
日本における本格インドカレーの誕生に関わった人物を解説します。
本格インドカレー誕生の立役者たち
日本に本場のインドカレーを誕生させた二人を紹介します。
ラス・ビハリ・ボース
インド独立運動家の一人、ラス・ビハリ・ボース氏です。
日本のインドカレーの父ともいわれているボースは1886年(明治19年)インドのベンガルで出生しました。
当時のインドは、イギリスの植民地であり、そのうえインド人は圧政に苦しんでいました。
若きボースは、祖国を救おうとインド総督へ襲撃し、イギリス政府から追われます。
ボース氏に12,000ルピーの懸賞金が懸けられていたんだって。
ボースは1915年(大正4年)に日本へ渡り、中国の革命家である孫文を訪ねます。
そんな中ボース氏が日本に潜伏してることがイギリス政府に伝わります。
その当時は日英同盟が結ばれており、日本政府はボース氏に対して国外退去命令を発令。
しかし、ボース氏は退去命令を逃れようと潜伏生活をする日々でした。
孫文のからの依頼でボースの異国の潜伏生活を手助けしていた日本人がいました。
政治団体「玄洋社」の頭山 満(とうやま みつる)です。
頭山満は大アジア主義者なんや。
日本を中心にアジアの民族が協調し欧米列強に対抗しようとする思想やな。
頭山は、中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光(こっこう)夫妻にボース氏の潜伏生活のサポートを依頼します。
相馬夫妻は、一連の騒動を新聞で知っていましたが、中村屋の敷地内に匿います。
亡命者を匿うことは日本政府に欺くことです。
しかし、相馬夫妻や従業員も一致団結してボース氏を匿いました。
その後日本政府の政治方針が転換され、ボースは保護されることに。
しかし、イギリスから追及されている状況は変わりませんでした。
ボース氏の逃亡生活は心身ともに過酷でした。
ボース氏の心の支えになったのが相馬夫妻の長女俊子さんです。
俊子さんは、女子学院高等科に進学しており英語が堪能のため、ボースのお世話役と連絡役でした。
1918年(大正7年)逃亡中ながも二人は結婚します。
ボースが32歳、俊子は20歳でした。
1919年(大正8年)に第一次世界大戦が終結したため、イギリスの追及も終わり、ボース氏は晴れて自由の身になりました。
ボース氏と俊子さんの間には1男1女をさずかり、幸せの絶頂でした。
そんな中不幸が襲います。
1919年(大正8年)俊子さんは、逃亡生活の心労と肺炎のため、26歳の若さで亡くなりました。
これからっていう時に…
その後ボースは1923年(大正12年)に日本国籍を取得します。
漢字の「防須」になりました。名付け親は第29代総理大臣犬飼毅でした。
インド独立するために奮闘してきましたが、そんな中入院するほど体調を悪化させてしまいました。
1945年(昭和20年)1月21日にボースは日本で逝去します。
彼の死の2年後、1947年(昭和22年)にインド国民の蜂起によってインド独立は果たされました。
本格インドカリーの誕生へ
大正末期になると中村屋の周辺に百貨店の進出があり、不安が高まっていました。
また以前にお客様から「一休みできる場所欲しい」というが要望があったこともあり、喫茶を作ろうとしていました。
そんな中ボース氏は祖国インドのカレーを知ってもらうため、喫茶メニューにインドカリーを加えることを提案します。
ボースは、潜伏期間中に相馬夫妻に本場のカリーを振る舞っていました。
1927年(昭和2年)6月12日に喫茶の開店とともにインドカリーの提供を開始。
本場のインドカリーは「純印度式カリー」という名でした。
本場のインドカレーはインディカ米を使い、スパイスの香りが強いのが特徴です。
それに当時の日本人は骨付き鶏肉を使っている料理を見たことがありません。
ごろっとした骨付きの鶏肉を目の前で見たら、びっくりするやろうな!
相馬夫妻は、インディカ米のようにソースが浸透しやすく、ジャポニカ米のもちもち食感のある白目米に変更します。
白目米は、江戸時代の最高級品のお米です。昭和初期では、ごく一部の農家でしか栽培されていなかった幻のお米なんだって。
骨付き鶏肉やスパイスの香りにも慣れてきたお客様が増えてきて、売り上げも上がってきました。
また純印度式カリーは80銭でしたが、町の洋食屋のカレーよりも高価でしたが、大ヒットしたそうですよ。
洋食屋のカレーが10~12銭やったんやて。
その後、中村屋は、純印度式カリーが誕生した6月12日を「恋と革命のインドカリーの日」として制定しました。
中村屋に「純印度式カリー」が誕生した後、1932年(昭和7年)に新聞の特集記事がでます。
東京のカレー・ライス、うまいのないナ。油が悪くてウドン粉ばかりで、胸ムカムカする。~略~カラければカレーと思つてゐるらしいの大變間違ひ。~略~安いカレー・ライスはバタアを使はないでしョ、だからマヅくて食へない
中村屋HP https://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/products/pro_001.html
イギリスから伝わったカレーが、日本人の食卓に深く根付いていることに対するボースの嘆きの言葉です。
日本で食べられていたのはインドを植民地にしていたイギリス式のカレーだったんや。
ボースさんは、ホンマのカレーを日本に伝えたかったんやな。
現在でもボース監修の純印度式カリーは、昭和2年の発売以来ベストセラーです。
レストラン&カフェ Manna/マンナ
住所: 東京都新宿区新宿3-26-13 新宿中村屋ビル B2F
営業時間:【月~土】11:00~22:00(L.O 21:30)
【日・祝】11:00~21:00(L.O 20:30)
定 休 日: 1月1日
新宿中村屋のHP⇒こちら
A.M.ナイル氏
もう一人の印度カリーの立役者は、A.M.ナイル氏です。
A.Mナイルは、インド南部のトリヴァンドラムに生まれます。
ナイルは高校在学時からインド独立運動に参加し、イギリス政府からマークされました。
イギリスの監視を回避するため、ナイル氏の兄が留学していた日本にいくことにします。
1928年(昭和3年)京都帝国大学の工学部に入学し、そこでラス・ビハリ・ボース氏に出会います。
ラス・ビハリ・ボースは、新宿中村屋の「純印度式カレー」の生みの親のやね。
ボースともに大アジア主義者である頭山 満や大川周明らとともに行動していきます。
インド独立のために奔走し、1947年(昭和22年)8月にインドがイギリスから独立。
ナイルはインド国籍を得ますが、日本に住み続け、在日インド人会会長や駐日インド大使顧問を歴任します。
インド料理普及など、日印友好関係に貢献した功績により、ボースは1984年(昭和59年)に勲三等瑞宝章を授与されました。
1990年(平成2年)4月に故郷のトリヴァンドラムに帰郷した際に体調を崩し逝去しました。
インド人による日本初のインド料理店の誕生
インド独立を成し遂げたナイル氏は、インド国籍は取得したものの日本国籍を取得します。
日本への恩返しとしてインド料理店を開くことを決意しました。
「日印親善は台所から」という理念のもと、1949年に東京・銀座に日本初のインド人によるインド料理店「ナイルレストラン」を開業しました。
創業以来ナイルカレーの定番カレーは、ムルギーランチや!
彼の情熱と努力は実を結び、1960年代以降、日本各地にインドカレー専門店が続々とオープンし、本格的なインドカレーが広く食べられるようになりました。
現在ナイルレストランは、三代目のナイル善己氏が、初代の意思を受け継ぎ、伝統の味を守り続けています。
印度料理専門店ナイルレストラン
〒104-0061東京都中央区銀座4丁目10-7
営業時間:【月~土】11:30~21:30
【日・祝】11:30~20:30
定休日:火曜日・第1第3水曜日
印度料理専門店ナイルレストランHP⇒こちら
本格インドカレーが日本にもたらした影響
本格インドカレーが日本全国に広まってきたのは、1980年代後半から1990年にかけてです。
それまでは日本独自の「カレーライス」が主流でした。
本格インドカレーが日本の食生活にもたらした影響はあるのでしょうか?
- 日本のカレー文化への波及
- スパイスへの関心の高まり
- インド料理店やスパイスショップの増加
について解説します。
日本のカレー文化への波及
本格インドカレーの出現で、日本のカレー文化に大きな影響をあたえました。
それまでは欧米料理が中心だった日本の食文化に「インド」という新たな選択肢が加わりました。
スパイスの香りや複雑な味わい、多様なカレーなど日本人が体験したことのない食文化は多くの人の興味をひき付けました。
欧風カレーだけではなく、インド各地のさまざまなカレーが食べられるようになり、日本のカレー文化は多様化されました。
スパイスへの関心の高まり
本格インドカレーの普及により日本であまりなじみのなかったスパイスへの関心が高まります。
今ではスパイスをスーパーで手軽に手に入るようになり、家庭でもスパイスを使った料理を楽しむ人が増えました。
さらにスパイスには様々な健康効果があるとされ、健康志向が高まりとももにスパイスをたくさん使う本格インドカレーが注目されるようになりました。
インド料理店やスパイスショップの増加
本格インドカレーを作るにはスパイスが必要なためにインド産のスパイスやカレーに必要な食糧の輸入量も増えました。
またインドカレーを通じてインド文化や習慣に興味を持つ人も増え、本場のインドカレーを味わうために、インド旅行に出かける人も少なくありません。
日本全国にインド料理やカレーを提供する専門店が増え、カレー激戦地と呼ばれる地域も出現しています。
インド料理以外にもスパイスを使うタイ料理やベトナム料理などアジア料理にも人気です。
- ラス・ビハリ・ボース氏は、日本初インドカレーを提供
- A.M.ナイル氏は、日本初インド人によるインドカレー店を開店
- 日本にカレーの多様化につながった本格インドカレー
戦後の高度経済成長とともに、日本人の食生活は多様化し、その中で本格インドカレーは独自の文化を築き上げてきました。
スパイスの香り、複雑な味わいなどカレーは、日本人の食卓に新たな彩りを添え、今後もその人気はますます高まっていくでしょう。
参考:新宿中村屋(https://www.nakamuraya.co.jp/)
印度料理専門店ナイルレストラン(https://www.ginza-nair.com/)
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