みなさんは、カツカレーをどんな時に召し上がりますか?
「試合の前とかゲン担ぎで食べる!」
「頑張った自分へのご褒美に。」
「給料がはいったからちょっと贅沢したい!」
カツカレーには、なぜか特別感がありますよね。
カツカレーは、ちょっとお高めだから、なかなか手が出ないね…。
他のカレーよりも値段は少々高いけど、心惹かれるカツカレーですよね。
パン粉をまとったサクサクした衣と程よい脂肪のついたジュージーな豚肉。
カツとカレーライスが一緒に口に入った時の美味しさは格別です。
カツカレーを食べる時に思うことがあります。
「カレー」と「カツ(とんかつ)」単品でも、立派に料理として成り立っているのに、なぜ一つの皿に一緒にしたんだろうかと。
また、カツカレーはいつどこで誕生して食べられるようになったのでしょうか?
今回は、カツカレーの誕生秘話について解説します。
そもそもカツカレーって何?
カツカレーは、カレーライスとトン(豚)カツが組み合わせたものです。
現在は、豚肉に限らず、
- ビーフカツ(牛肉)
- チキンカツ(胸肉またはモモ肉)
- メンチカツ
- ハムカツ
- エビカツ
などバリエーションが豊富です。
カツカレーの発祥はどこ?
そもそもカツカレーの発祥した国は、どこなんでしょうか?
実は、カツカレーは日本発祥なんです!
では、いったいカツカレーの発祥店と言われるお店はどこなのでしょうか?
調べると、カツカレー発祥とされているお店は3店舗ありました。
年代が古い順で紹介します。
河金
「河金」は、創業1918年(大正7年)浅草で 河野金太郎さんが始めました。
店名「河金」は苗字と名前の頭を使っているのですね。
創業当時は、洋食屋台でカレーライス・コロッケ・カツレツを提供していました。
洋食の屋台から始まったんだね。
ある日河金さんの常連客が「カツレツとカレーを一緒に食べたい」をいう一言で、提供した料理。
その料理の名前は、河金丼。
カツレツとは、フランス料理の「コートレット」を元にして日本で改良されたものです。
また河金丼は、屋台で営業していたころから存在していたとのこと。
河金丼の特徴は、
- どんぶりに入っている
- ご飯→キャベツの千切り→カツ→カレールーの順
屋台で出されてたから、手で持ち上げやすいようにどんぶりが最適だったんですね。
河金丼の中身は、カツカレーですよね…。
う~ん。でもやっぱり河金丼という名だとカツカレーと結びつかないなぁ…。
河金は1929年(昭和4年)に浅草に店舗を構えました。
お店の近くに国際劇場があり、とても繁盛していたそうですよ。
1987年(昭和62年)に浅草本店は閉店してしまいましたが、千束店は現在も営業中です。
本店の味また屋台で提供していた味を守り続け、今でも河金丼の名前のままで提供されています。
お店の情報
店名:「とんかつ河金千束店」
住所:東京都台東区浅草5-16-11
営業時間:11:00~20:00
定休日:土曜日
王ろじ
カツカレーの発祥店とされている2店舗目は、「王ろじ」です。
王ろじは、1921年(大正10年)創業。
王ろじという店名には店主の意気込みが感じられるんです。
路地で一番になりたい→「路地の王様」が転じて「王ろじ」という店名付けたとか。
初代店主は負けず嫌いだったそうで、路地で一番のお店になる!という気概を感じる店名ですね。
丸の内にあった宮内庁御用達の洋食店「中央亭」で修業した初代店主が、神楽坂で王ろじを始めました。
フレンチを修業していた初代店主が生み出したがカレーとカツレツの入った「とん丼」です。
フレンチの要素がはいっているんだね!
フランス料理のノウハウを生かしてできた逸品。
とん丼の特徴はこちら。
- どんぶりと皿が一体化したお店独自の器
- カットされた厚みのある大きめのカツが3つ
- カツには、薄いロース肉を巻いている
- カツにソースがかかっている
そして、終戦後現在の場所に移転し、今でも初代店主のレシピが受け継がれています。
お店の看板には、
昔ながらのあたらしい味
王ろじ看板より
と書かれています。
大正時代から守ってきた味を、令和の時代でもまた新しい味として受け継がれていくんですね。
お店情報
店名:王ろじ
住所:東京都新宿区新宿3-17-21
営業時間:11:15~14:50 17:30~20:00
(火曜日のみ11:15~14:50)
定休日 水曜日
銀座スイス
「カツレツカレー」という名前でメニューに出したのが、銀座スイスです。
1947年(昭和22年)銀座7丁目に「銀座スイス」を創業。
創業して一年後にカツレツカレーは、銀座スイスに誕生します。
1948年(昭和23年)頃は、巨人軍のユニフォームは、最高級オーダーメード店 銀座テーラ―が手掛けていました。
銀座テーラ―の店主が、巨人軍の千葉茂さんに銀座スイスを紹介したことから始まります。
ここで千葉茂さんについて簡単に経歴をまとめてみました。
<千葉茂さんの経歴>
- 1919年(大正8年)愛媛県西条市生まれ
- 1938年(昭和13年)投手として東京巨人軍に入団
- 1946年(昭和21年)~56年(昭和31年)巨人軍に在籍し「名二塁手」という地位を確立
- 1959年(昭和34年)~61年(昭和36年)近鉄バファローズの監督
- 引退後、野球評論家として活躍
- 2002年(平成14年)12月 逝去(83歳)
参考:公益財団法人野球殿堂博物館 HP
ある日、千葉さんが試合前に銀座スイスを訪れた時の事です。
お腹がすいてたくさん食べたいし、早く食べたい、ガツンといっき食べたく思いついたのが
銀座スイスHPより
「カレーライスにカツレツを乗っけてくれ!」だったのです。
これが、カツカレーの始まりです。
これが、カツカレーの始まりなんやね。
千葉さんは、かなりせっかちな人だったんやね。
千葉さんご自身もカツカレーを考案したことを明言していたそうですよ。
また、当時のカツカレーの値段は180円で、当時の銀行員の初任給が3000円だったそうです。
あと、忘れてはいけないのが、2月22日はカツカレーの日なんですよ。
カツカレーの日は、銀座スイスが制定しました。
なぜ2月22日がカツカレーの日かというと、1947年2月22日に銀座スイスが創業した日なんです。
お店情報
店名:銀座スイス
住所:東京都中央区銀座三丁目4-4 大倉別館2F
営業時間:11:00~21:00(L.O.20:30)
定休日:年末年始のみ
番外編
お店ではないですが、もうひとつカツカレー発祥のお話をご紹介します。
元貴族院議員でもあり横浜市長を歴任した平沼亮三(ひらぬま りょうぞう)さんという方が
いらっしゃいました。
1879年(明治12年)~1959年(昭和34年)まで生き、スポーツの普及と振興に尽力した方です。
平沼さんは、自宅に客人を招いてカレーにとんかつを一緒にしたものを「スポーツライス」と称して、振舞っていたそうです。
今回の記事のまとめは、こちらです。
- カレーとトンカツ(キャベツ付き)が一つの器に入った「河金丼」
- フレンチ経験の初代店主が生み出した「とん丼」
- 「カツレツカレー」という名でメニューに出した銀座スイス
- 平沼亮三氏が自宅で振る舞っていた「スポーツライス」
お客さんのアイディアや店主の試みで誕生したカツカレー。
料理名は違うけど、今カツカレーを食べられるのはこの3店舗のおかげと言っても過言ではないですね。
令和まで当時の味が続いているって本当に奇跡です。
※お店の情報は、2023年4月時点です。
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