昼食や夕食を作りたくない日ってありませんか?
「作りたくないけど、カレーは食べたい。」
「じゃがいも、ニンジン、玉ねぎを切って…どうしても調理したくない!」
そんな時は、温めるだけですぐ食べられるレトルトカレーですね。
便利なレトルトカレーは、いつどこで開発されたのでしょうか?
今回は、レトルトカレーについて解説します。
レトルトって何?
レトルトはオランダ語で、「加圧加熱処理(装置)」という意味です。
日本では「レトルト食品」と呼ばれていて、加圧加熱殺菌された食品のことをいいます。
食品を専用の袋に入れて、圧力を加えてながら熱で殺菌したものです。
熱は100℃以上の高温で加熱すると、熱に強い芽胞(がほう)菌も死滅させます。
レトルト食品は「レトルトパウチ食品」とも呼ばれています。
レトルトパウチの「パウチ」は「袋」という意味です。
レトルトパウチ食品が発売される前は、保存食品といえば瓶詰めや缶詰があります。
1804年にフランスの食品加工業者の二コラ・アベールは、食品を詰めて密閉し、加熱殺菌後に長期保存が可能であるの原理を発明しました。
瓶詰めや缶詰が発明されたころは、
日本では江戸時代で、11代徳川家斉の頃やね。
のちのレトルトパウチでの保存に通じる発明です。
また瓶詰めや缶詰と同様に、レトルト食品は常温で長期保存ができます。
災害時の非常食や時間がない時にすぐに食べられるように常備食としてもおすすめです。
レトルト食品は、加熱・調理済みなので温めなくても食べられますが、温めた方がより美味しいです。
世界初のレトルトカレーはどこの国?!
実はレトルトカレーの発祥は、日本です。
そして大塚食品のボンカレーが世界初のレトルトカレーなんです。
大塚食品がレトルトカレーを作ることになった開発秘話などを説明します。
- レトルトカレーが開発される前の出来事
- ボンカレー誕生のストーリー
- 発売当初のパッケージの女性は誰?
レトルトカレーが開発される前の出来事
レトルトカレーが誕生する前に、レトルトパウチ食品は、すでにアメリカで開発されていました。
1955年(昭和30年)アメリカのイリノイ大学が缶詰に代わる保存用加工品を研究を開始します。
缶詰は保存性が高くて重宝されていましたが、運搬や空き缶の処理問題を解決するための研究でした。
1958年(昭和33年)NATIC(米陸軍)研究所とSWIFT社との共同開発で試験的に製造が始まります。
アメリカの陸軍の軍用携帯食として活用とアポロ計画の宇宙食でもレトルトパウチ食品は活躍します。
アポロ計画とは、月への有人宇宙飛行計画のことです。
1964年(昭和39年)アポロ11号に搭載したレトルト食品〈Lunar-pack(牛肉やポトフなど5品目)〉が注目を浴びました。
アメリカでは軍用食と宇宙食で成功したレトルト食品ですが、一般家庭にあまり普及しませんでした。
なぜなら大型冷蔵(冷凍)庫が普及していて、常温で保存する必要ないからです。
また、欧米ではオーブンなどを使っての加熱調理が食事の基本だったのも、普及しなかった原因とも
されています。
ボンカレー誕生のストーリー
1968年(昭和43年)2月12日、大塚食品が世界初レトルトカレー「ボンカレー」を発売します。
ちなみにボンカレーの名前の由来は、フランス語BON(ボン)おいしい・良いという意味の言葉です。
1964年(昭和39年)に大塚グループが関西のカレー粉製造販売会社を引き継いで、大塚食品が誕生します。
この当時はすでにメーカー間で、カレー販売競争が激化していました。
カレールーやカレー粉でもう競い合うことはできない…他社と違ったものを作りたいと考えていた矢先のことです。
アメリカの「モダン・パッケージ」という専門誌を目にします。
ソーセージの真空パックの記事を読み、「この新しい技術を使って、お湯で温めるだけで食べられる一人分のカレーを作れるかもしれない」と確信しました。
また大塚食品は、
- 常温で長期保存ができること
- 保存料を使わないこと
を開発条件にします。
実はレトルトカレーを開発には、アメリカのノウハウは使われませんでした。
なぜならアメリカのレトルト食品は当初米軍の研究だったため、必要な材料や情報まで入手が
困難だったのです。
最初は大塚製薬(大塚グループのひとつ)が培った点滴用の殺菌技術を応用して、レトルト釜もすべて準備しました。
しかし、食材の中を殺菌するた高温処理するため中身が膨らんでしまい、パウチが破裂して
失敗します。
数々の失敗を重ね、パウチの改良や破裂を防ぎながら圧力をかけるなどの調整に時間を費やしました。
開発を始めてから4年後、1968年(昭和43年)2月12日にボンカレーが誕生します。
初めはポリエチレンとポリエステルの2層構造で、半透明のパウチを採用しました。
しかし2層構造のパウチに欠点が判明します。
パウチ内に光や酸素が透過し、中身の風味があまり保てなかったため、賞味期限が夏場で2カ月、冬場で3カ月しか持ちませんでした。
賞味期限が短いため全国販売に至らず、大阪圏内(本社圏内)の販売のみ。
その後、ポリエチレン・アルミ・ポリエステルの3層構造パウチを使用することにより、長期保存が可能になります。
アルミ箔を用いたアルミパウチで光と酸素を遮断し、賞味期限を2年間に延ばすことに成功。
ついに1969年(昭和44年)5月にボンカレーは全国発売されます。
満を持しての全国発売でしたが、発売当初の消費者の反応は、「値段が高すぎる」という声でした。
なぜなら、その当時の外食のうどんが50~60円ぐらいで、ボンカレーは1箱80円だったからです。
当時は牛肉が高価で、牛肉の確保も難しい時代でしたが、ボンカレーは牛肉の使用にこだわり
続けました。
また「保存料が入っていない」と説明しても「防腐剤を使っているのでは?」と疑う人もいて、理解してもらうのもひと苦労だったそうです。
苦労があったんやね。
しかし、大塚食品の並々ならぬ営業と宣伝で、次第にボンカレーのファンを獲得していきます。
2022年(令和4年)に「最長寿のレトルトカレーブランド」としてギネス記録で認定されるほど、ボンカレーは愛されて続けてきました。
日本ではレトルトカレーが発売されたことをきっかけに、いろいろな種類のレトルト食品が開発されて全国に広まっていきます。
ボンカレー発売当時の日本では、一般家庭に冷蔵庫の普及があまり進んでいなかったため、常温で保存できるレトルト食品が重宝されたそうです。
冷蔵庫の普及は、1975年(昭和50年)頃に99%達したとされています。
また、日本ではお湯を使う料理法(ゆでる・蒸す)の調理法が一般的だったため、レトルトカレーも含めレトルト食品が浸透したともいわれています。
発売当初のパッケージの女性は誰?
発売当初のパッケージの女性は、女優の松山容子(まつやま ようこ)さんです。
読売テレビ制作 琴姫七変化(1960年12月~1962年12月 全105話)で主演でした。
ちなみにこのドラマのスポンサーは大塚製薬です。
ドラマ「琴姫七変化」は、徳川幕府11代将軍の家斉の末娘である琴姫が世直しをする話。
いろいろな職業人に扮装(ふんそう)して、事件を解決していきます。
琴姫が悪人を退治するときに言う「許しませぬぞ!」というセリフが、視聴者の間で大人気になったんやて!
松山容子さんの琴姫役が大人気になり、大塚食品の「ボンカレー」顔として長年活躍されました。
大塚食品以外のレトルトカレーはどうだったの?
1970年(昭和45年)8月にS&B食品は「サンバードチキンカレー」を発売
1971年(昭和46年)ハウス食品は「ククレカレー」を発売します。
ククレカレーの由来は、Cook less(クックレス)からで、レトルト食品は調理の必要がないという特徴を表した言葉です。
年末年始のみに流れた「おせちもいいけどカレーもね!」というククレカレーのCMを覚えていますか?
キャンディ―ズ(伊藤蘭さん・藤村美樹さん・田中好子さん)が出演したCMのセリフが印象的です。
次々と他社もレトルトカレー市場に参入していきます。
今では、日本定番のカレーや欧風カレーのほかにもインドカレーやタイカレーなど種類も豊富です。
お店で食べるカレーと引けを取らないほど、レトルトカレーは進化し続けています。
レトルトカレーの進化
ボンカレー発売から35年、2003年(平成15年)にレトルトカレーの技術進歩が!
それはレトルトカレーが、レンジで調理ができることです。
箱ごとレンジでで温められます!
電子レンジは火を使わないため誰も温められるし、手軽で簡単です。
また日本では電子レンジの普及率が高いことが、レンジ調理のレトルト開発を後押した要因の一つです。
電子レンジを使うと湯せんよりもエコロジーで二酸化炭素排出の削減できる利点もあります。
ここで注意点がひとつ。
電子レンジが不可のアルミパウチは電子レンジで直接温められません。
アルミパウチのまま電子レンジで温めると、電子レンジが故障するので、深めの皿に移し替えて、ラップをかけて温めてください。
- 1968年(昭和43年)2月12日大塚食品が、世界初レトルトカレー「ボンカレー」を発売
- 1969年(昭和44年)5月にボンカレーは全国発売へ
- アメリカ雑誌にのソーセージの真空パックの記事がレトルトカレーの開発のきっかけ
- 2022年(令和4年)に「最長寿のレトルトカレーブランド」としてギネス記録で認定
- ボンカレーの初代パッケージは女優の松山容子(まつやま ようこ)さんを起用
- 電子レンジで温められるレトルトカレーがある
参考:大塚食品HP・日本缶詰びん詰レトルト食品協会HP・TCエンターテインメント・公益社団法人発明協会
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